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「あんたはいらない!邪魔!」と母は弟だけ連れて出て行った→私が15の時、父「弟やお母さんに会いたいか?」私「うん」→会ってみてビックリ…!

わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました。
夕方に出張から父が帰ると、冷蔵庫と藤製の電話台以外の家財道具が一切なくなっており、ぐったりしたわたしと、同じくぐったりした歩行機に乗せられた弟がいたそうです。
何故母がいなくなったのか。
事情がわからない父は一人で育てるのが無理だったので(船で遠出をする仕事)、わたしと弟を新幹線で2時間ほどの距離の父方祖父母に預けました。
これが第一の修羅場です。

時は流れて1年後。
わたしは父方祖父母宅(以降自宅)近くの幼稚園に通っていました。
幼稚園バスが迎えに来る場所は、自宅から400mほど真っ直ぐ進んだところで、大きな道路に面した場所でした。
その道を、わたしと祖母と、祖母に抱かれた弟と歩くのが日課でした。
ある朝いつも通りにバスが来るところへ向かっていると、私たちの目の前に、大きなワゴン車が停まりました。
ワゴン車の助手席からは、母が降りてきました。
1年ぶりに見る母の姿。
運転席からは見たことのない男性が降りてきましたが、気にはなりませんでした。
嬉しくて、わたしは母に駆け寄りました。
母もこちらに歩いてきます。
「ママー!」
“きっと抱き締めてくれる”。
わたしはそう期待していたと思います。
しかし、母からの返答は違いました。
「邪魔」
表情もなく、その一言でした。
思っていたのとは違う反応に固まるわたしをよそに、母は弟を抱く祖母のほうに歩を進め、そして祖母から弟を文字通り奪おうとしました。
“弟がとられる”。
直感でそう思ったのでしょう。
わたしは母の足にしがみつき、
「やめて!○○をとらんで!」
と叫びました。
しかし所詮4歳女児です。
母が足を振ると、撥ね飛ばされました。
そして、恋しかった、大好きだった母から、忘れられない一言をもらいました。
「あんたいらない!邪魔やからどいて!」
これが2番目の修羅場です。
そこからの記憶はありません。
いつの間にか、わたしの生活から弟はいなくなっていました。
しかし不思議なもので、いなくなっても何一つ生活は変わりませんでした。
まるで最初から弟がいなかったような生活です。
祖父母はもちろん親戚も誰一人、弟について話す人はいませんでした。
たまに身内ではない人から「一人っ子?」と聞かれるときだけは、少し困りました。
事情を話すのは何だか良くない気がするし…と毎度困り、その度に母に言われた言葉を思い出し悲しくなり、「わたしはいらないこども」と心が重くなったのは、2.5番目の修羅場と言ったところでしょうか。
その修羅場は父にも、そしていつも傍にいてくれて愛してくれた祖父母にも、言えませんでした。

それからまた時が流れ10年後、わたしが15歳のときです。
ある日単身赴任から帰った父から、神妙な顔で問われました。
「お前、お母さんや弟に会いたいか?」
思いもよらない言葉でした。
それまで親子であっても母や弟の話をすることはなく、当時のことを話題にするのはなんとなくタブーでした。
わたしも聞かないし、父も誰も話さない。
そんな中、10年ぶりに上った母と弟の話題。
“会いたいか?”との質問。
わたしが答えられないでいると、いつもはハートマン軍曹のように恐ろしかった父が、下を向いて話始めました。

母は不倫の挙げ句に失踪したこと。
失踪した段階では離婚をしなかったこと。(むしろ捜索願いを出していたこと)
弟を奪いにきたことをきっかけに不倫の末の逃亡と判明し、離婚を決意したこと。
しかし親権で揉め、裁判になったこと。
父は姉弟ともの親権を要求、母の主張は一貫して
「長男(弟)を寄越せ、娘はやる」
というものだったこと。
最終的には娘(わたし)は父、弟は母になったこと。

不倫のことは、何となく気付いていました。
そうじゃなければ、徹底して誰も話題にしないのは変ですから。

「お前は覚えてないかもしれないけど、俺が帰ったら家の中になぁんもなくてなぁ…」
「…覚えてるよ」
記憶に残る捨てられた日の室内の様子や、窓から見えた風景を父に話しました。
弟が連れ去られた日のことも。
「3歳とか4歳とかのころのことなのに、よく覚えてるんだな」
少し笑う父でしたが、笑いながら、二人で泣きました。
しかし、母から言われた“いらない”の言葉は、言えませんでした。

わたしは父に、会いたいと答えました。
大好きだった弟に会いたいのは勿論、母に対してこのときはまだ少し希望を持っていたように思います。
どうしてもの事情があって、わたしを捨てたのだと。
その事情が知りたい、と。

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「あんたはいらない!邪魔!」と母は弟だけ連れて出て行った→私が15の時、父「弟やお母さんに会いたいか?」私「うん」→会ってみてビックリ…!

わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました。
夕方に出張から父が帰ると、冷蔵庫と藤製の電話台以外の家財道具が一切なくなっており、ぐったりしたわたしと、同じくぐったりした歩行機に乗せられた弟がいたそうです。
何故母がいなくなったのか。
事情がわからない父は一人で育てるのが無理だったので(船で遠出をする仕事)、わたしと弟を新幹線で2時間ほどの距離の父方祖父母に預けました。
これが第一の修羅場です。

時は流れて1年後。
わたしは父方祖父母宅(以降自宅)近くの幼稚園に通っていました。
幼稚園バスが迎えに来る場所は、自宅から400mほど真っ直ぐ進んだところで、大きな道路に面した場所でした。
その道を、わたしと祖母と、祖母に抱かれた弟と歩くのが日課でした。
ある朝いつも通りにバスが来るところへ向かっていると、私たちの目の前に、大きなワゴン車が停まりました。
ワゴン車の助手席からは、母が降りてきました。
1年ぶりに見る母の姿。
運転席からは見たことのない男性が降りてきましたが、気にはなりませんでした。
嬉しくて、わたしは母に駆け寄りました。
母もこちらに歩いてきます。
「ママー!」
“きっと抱き締めてくれる”。
わたしはそう期待していたと思います。
しかし、母からの返答は違いました。
「邪魔」
表情もなく、その一言でした。
思っていたのとは違う反応に固まるわたしをよそに、母は弟を抱く祖母のほうに歩を進め、そして祖母から弟を文字通り奪おうとしました。
“弟がとられる”。
直感でそう思ったのでしょう。
わたしは母の足にしがみつき、
「やめて!○○をとらんで!」
と叫びました。
しかし所詮4歳女児です。
母が足を振ると、撥ね飛ばされました。
そして、恋しかった、大好きだった母から、忘れられない一言をもらいました。
「あんたいらない!邪魔やからどいて!」
これが2番目の修羅場です。
そこからの記憶はありません。
いつの間にか、わたしの生活から弟はいなくなっていました。
しかし不思議なもので、いなくなっても何一つ生活は変わりませんでした。
まるで最初から弟がいなかったような生活です。
祖父母はもちろん親戚も誰一人、弟について話す人はいませんでした。
たまに身内ではない人から「一人っ子?」と聞かれるときだけは、少し困りました。
事情を話すのは何だか良くない気がするし…と毎度困り、その度に母に言われた言葉を思い出し悲しくなり、「わたしはいらないこども」と心が重くなったのは、2.5番目の修羅場と言ったところでしょうか。
その修羅場は父にも、そしていつも傍にいてくれて愛してくれた祖父母にも、言えませんでした。

それからまた時が流れ10年後、わたしが15歳のときです。
ある日単身赴任から帰った父から、神妙な顔で問われました。
「お前、お母さんや弟に会いたいか?」
思いもよらない言葉でした。
それまで親子であっても母や弟の話をすることはなく、当時のことを話題にするのはなんとなくタブーでした。
わたしも聞かないし、父も誰も話さない。
そんな中、10年ぶりに上った母と弟の話題。
“会いたいか?”との質問。
わたしが答えられないでいると、いつもはハートマン軍曹のように恐ろしかった父が、下を向いて話始めました。

母は不倫の挙げ句に失踪したこと。
失踪した段階では離婚をしなかったこと。(むしろ捜索願いを出していたこと)
弟を奪いにきたことをきっかけに不倫の末の逃亡と判明し、離婚を決意したこと。
しかし親権で揉め、裁判になったこと。
父は姉弟ともの親権を要求、母の主張は一貫して
「長男(弟)を寄越せ、娘はやる」
というものだったこと。
最終的には娘(わたし)は父、弟は母になったこと。

不倫のことは、何となく気付いていました。
そうじゃなければ、徹底して誰も話題にしないのは変ですから。

「お前は覚えてないかもしれないけど、俺が帰ったら家の中になぁんもなくてなぁ…」
「…覚えてるよ」
記憶に残る捨てられた日の室内の様子や、窓から見えた風景を父に話しました。
弟が連れ去られた日のことも。
「3歳とか4歳とかのころのことなのに、よく覚えてるんだな」
少し笑う父でしたが、笑いながら、二人で泣きました。
しかし、母から言われた“いらない”の言葉は、言えませんでした。

わたしは父に、会いたいと答えました。
大好きだった弟に会いたいのは勿論、母に対してこのときはまだ少し希望を持っていたように思います。
どうしてもの事情があって、わたしを捨てたのだと。
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