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妻の手紙「あなたとはやっていけそうにありません。さようなら」と出て行った妻。去年の冬、夕食を食べている頃に一人の来訪者。そして絶望が待っていた…

私は48歳の男性です。現在、卒業目前の娘がいます。
妻は、いません。

妻と私は、働き始めた頃、同僚でした。
バブル全盛期でしたので、私も会社も金回りが良くて、私も新入にしてはそこそこの高収入でした。

妻と私はすぐに結婚しました。数年後には娘にも恵まれました。幸せでした。

バブルがはじけて数年後、
私は職を失いました。

職を失い数日後、妻が家からいなくなりました。
置手紙を残していました。

「ごめんなさい。あなたとはやっていけそうにありません。さようなら」

2歳の娘までほったらかして、妻は逃げていきました。
貯金も殆ど持ち去られていました。
ただでさえ失職して貧乏になったのに、追い討ちをかけられました。

自殺すら考えました。
娘と心中しよう。
いや、妻も一緒に殺してやる。

できませんでした。

のちに、
妻は不倫をしていて、その不倫相手と再婚したことがわかりました。

娘が保育園生の頃、
「どうして私にはママがいないの?」と聞いてきました。

「ママは死んだんだよ」

嘘をつきました。

※私の両親は、阪神淡路大震災や交通事故で亡くなり、兄弟もいません。
親戚とも疎遠となっています。嘘をついてもまずバレません。

死ぬ ということを理解できない年頃でしょうが、
それでなんとかその先ずっと押し通すことができました。

その後、私は実家の土地や先祖代代の山、田を全て売って、
死に物狂いで働きました。

貯金もかなりの額になりましたが、
娘の大学進学のために使う予定だったので、
住んでいたボロアパートからは引っ越さず、
今まで通りの質素・貧乏・倹約生活を続けました。

娘が中学生になって、あることを聞いてきました。

「どうしてママの遺影とか飾ってないん?」
「ママのお母さんとかお父さんってどんな人?」

嘘も限界がきたな、と思いました。

ついに、娘が中学生のとき、
全てを話しました。

大変ショックを受けた様子で、

「私たちを捨てたんだね」

と涙ながらに語っていました。

その日から徐々に、娘の性格が変わり始めました。

何故か私は、妻の置いていった物などをすべて残していたのですが、
娘はそれらを次々にゴミ袋に入れて、泣きじゃくるのです。

私は何ともかける言葉もなく、ただ娘のやるようにやらせました。
ただひとつ、私は誰にも目につかない場所に、あるものを保管していました。

「ごめんなさい。あなたとはやっていけそうにありません。さようなら」

早朝に急いで書いたような置手紙を、黄ばんだ置手紙を、
私はなぜか手放すことができませんでした。

娘の精神状態が穏やかになったあとで、
この手紙も見せてあげようと決心しました。

そして去年の冬、
夕食を食べている頃に一人の来訪者がきました。

ドアをあけると、白髪の目立つ女性が立っていました。
思い出すよりも、直感的に、妻…いえ、元妻だと分かりました。

あの時の可愛い姿や、つやつやの髪、化粧、香水、おしゃれな服…は
影一つ見当たらず、ホームレスのような姿でした。

娘に見つかるとマズイので、とりあえず外に出て元妻の話を聞くことにしました。

妻「あの時はごめんなさい」
俺「あぁ、いや、気にしてないさ」
妻「怒ってるかしら」
俺「いや、まぁ、過ぎたことだ」

夜の住宅街を二人でアテもなく歩きながら、話しました。
すると突然、

妻「再婚って、無理かしら」

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妻の手紙「あなたとはやっていけそうにありません。さようなら」と出て行った妻。去年の冬、夕食を食べている頃に一人の来訪者。そして絶望が待っていた…

私は48歳の男性です。現在、卒業目前の娘がいます。
妻は、いません。

妻と私は、働き始めた頃、同僚でした。
バブル全盛期でしたので、私も会社も金回りが良くて、私も新入にしてはそこそこの高収入でした。

妻と私はすぐに結婚しました。数年後には娘にも恵まれました。幸せでした。

バブルがはじけて数年後、
私は職を失いました。

職を失い数日後、妻が家からいなくなりました。
置手紙を残していました。

「ごめんなさい。あなたとはやっていけそうにありません。さようなら」

2歳の娘までほったらかして、妻は逃げていきました。
貯金も殆ど持ち去られていました。
ただでさえ失職して貧乏になったのに、追い討ちをかけられました。

自殺すら考えました。
娘と心中しよう。
いや、妻も一緒に殺してやる。

できませんでした。

のちに、
妻は不倫をしていて、その不倫相手と再婚したことがわかりました。

娘が保育園生の頃、
「どうして私にはママがいないの?」と聞いてきました。

「ママは死んだんだよ」

嘘をつきました。

※私の両親は、阪神淡路大震災や交通事故で亡くなり、兄弟もいません。
親戚とも疎遠となっています。嘘をついてもまずバレません。

死ぬ ということを理解できない年頃でしょうが、
それでなんとかその先ずっと押し通すことができました。

その後、私は実家の土地や先祖代代の山、田を全て売って、
死に物狂いで働きました。

貯金もかなりの額になりましたが、
娘の大学進学のために使う予定だったので、
住んでいたボロアパートからは引っ越さず、
今まで通りの質素・貧乏・倹約生活を続けました。

娘が中学生になって、あることを聞いてきました。

「どうしてママの遺影とか飾ってないん?」
「ママのお母さんとかお父さんってどんな人?」

嘘も限界がきたな、と思いました。

ついに、娘が中学生のとき、
全てを話しました。

大変ショックを受けた様子で、

「私たちを捨てたんだね」

と涙ながらに語っていました。

その日から徐々に、娘の性格が変わり始めました。

何故か私は、妻の置いていった物などをすべて残していたのですが、
娘はそれらを次々にゴミ袋に入れて、泣きじゃくるのです。

私は何ともかける言葉もなく、ただ娘のやるようにやらせました。
ただひとつ、私は誰にも目につかない場所に、あるものを保管していました。

「ごめんなさい。あなたとはやっていけそうにありません。さようなら」

早朝に急いで書いたような置手紙を、黄ばんだ置手紙を、
私はなぜか手放すことができませんでした。

娘の精神状態が穏やかになったあとで、
この手紙も見せてあげようと決心しました。

そして去年の冬、
夕食を食べている頃に一人の来訪者がきました。

ドアをあけると、白髪の目立つ女性が立っていました。
思い出すよりも、直感的に、妻…いえ、元妻だと分かりました。

あの時の可愛い姿や、つやつやの髪、化粧、香水、おしゃれな服…は
影一つ見当たらず、ホームレスのような姿でした。

娘に見つかるとマズイので、とりあえず外に出て元妻の話を聞くことにしました。

妻「あの時はごめんなさい」
俺「あぁ、いや、気にしてないさ」
妻「怒ってるかしら」
俺「いや、まぁ、過ぎたことだ」

夜の住宅街を二人でアテもなく歩きながら、話しました。
すると突然、

妻「再婚って、無理かしら」

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